北区役所だより 第316号(令和2年6月7日) 1ページ
最終更新日:2020年6月7日
感染症の終息を願う今だからこそ!人々の思いが込められた神楽・獅子舞に注目
これまでの調査で、北区には神楽が27件、獅子舞が3件伝承されていたことが分かっており、現在は18団体が活動しています。近年は尾山(御山)、長戸呂、上堀田で40年から65年ぶりに神楽が復活するなど、各地で「地域の宝」として伝え残そうという機運が盛り上がっています。
始まりに注目
疫病退散を願って始まったと伝わる4つの神楽
北区の神楽や獅子舞の始まりは、記録が少なく言い伝えによるものが多いのですが、ほとんどは江戸時代から明治時代に始まったと伝わっています。
始まりの理由は、凶作が続くために五穀豊穣を願ったものや村(集落)の安全を願ったもの、また村人の団結を図るためのものなど、さまざまです。その中から、「村に広まった疫病の退散を願って始まった」と伝わる北区の4つの神楽を紹介します。
昔から人々は、日々の穏やかな暮らしを求めていました。神楽や獅子舞には、人々の切なる願いや祈りが込められています。
問い合わせ 北区郷土博物館(電話:025-386-1081、月曜休館)
大瀬柳(おおせやなぎ)の神楽
一説には、天保13年(1842年)9月の1カ月足らずの間に村で5人・6人が亡くなる悪病が流行したため、旅人が「悪魔払いをしなければならぬ」と神楽を教え、始まったといわれています。
正尺(しょうじゃく)の神楽
飢餓と悪病が流行した天保年間(1830年から1844年)に、村上では藩主が彫刻師の一平に多くの神楽のお頭を作らせ、人々に悪魔退散と豊作祈願の舞を行わせました。すると、病気の流行は収まったそうです。それを聞いた庄屋が一平のもとへ正尺の人を派遣し、お頭を分けてほしいと頼み、天保5年(1834年)にお頭をもらい受け、始まったといわれています。
内沼(うちぬま)の神楽
江戸時代から舞われていましたが、明治35年・36年(1902年・1903年)に中止したところ、村に悪病が流行しました。人々は、「原因は神楽があるのに舞わないでいるためだろう」と考え、再び舞うようになったそうです。
新崎伊佐弥(にいざきいざや)神楽
弘化年間(1844年から1847年)、村に悪病の流行や災害が多かったため、病魔退散・村中安全を願って諏訪神社に奉納したのが始まりといわれています。
―写真と映像、そして本物で見る― 北区の神楽と獅子舞のここに注目展
日時 7月12日(日曜)まで
会場 北区郷土博物館
ここに注目 その1
神楽のお頭4兄弟の集合
「長作(ちょうさく)」という同じ職人によって作られた、長場、嘉山、江南区沢海、村上市の兄弟お頭が、約130年ぶりに集合しています。(沢海は写真のみ)
長場のお頭
嘉山のお頭
ここに注目 その2
本物のお頭を間近で
内沼の獅子舞、他門の神楽など、当館に寄贈された昔のお頭のほか、天保4(1833)年に製作されたことがわかる濁川大和神楽のお頭を借用し、展示しています。
濁川大和神楽のお頭の内側に刻まれた文字
ここに注目 その3
区内全ての神楽と獅子舞を写真や映像で紹介
写真展示のほかに、30年近く前に撮影された映像や、昨年の秋に各地で行われた神楽・獅子舞の映像などを会場で上映しています。
DVDの貸し出しも行っています。
来館の際はマスク等の着用をお願いします。
臨時休館となる場合があります。最新の開館状況は問い合わせてください。
問い合わせ 同館(電話:025-386-1081、月曜休館)
令和2年度北区イベント中止のお知らせ
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、6月1日(月曜)時点で中止が決定しているイベントのみを掲載しています。その他のイベントについても、決定次第お知らせします。
- 北区展
問い合わせ 豊栄地区公民館(電話:025-387-2014) - 阿賀野川ござれや花火
問い合わせ 産業振興課商工観光係(電話:025-387-1356) - 福島潟駅伝競走大会
問い合わせ 産業振興課文化・スポーツ係(電話:025-387-1195) - 新潟市北区こども科学展
問い合わせ 北区郷土博物館(電話:025-386-1081)
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感染防止の3つの基本
- 人との間隔は2メートル
- マスクの着用
- 手洗い