338号(令和3年5月2日) 1ページ
最終更新日:2021年5月2日
発生から今年で90年 白根大火
白根大火は、1931(昭和6)年5月13日午後7時55分頃に旧白根町五六の町表通り西側から出火した火災と、それによる被害のことをいいます。火の手は風に乗り、町のおよそ3割を焼きました。
当時を知る人は、目の前の惨状を受け止めることができず、ただ茫然と立ち尽くしたと言います。当時の建物は木造で、屋根も木の板で葺いた「
火災は私たちの財産だけでなく、最悪の場合人命も奪います。
白根大火から90年。改めて火災の恐ろしさについて考え、防災への意識を高める機会にしましょう。
被害区域 | 三の町、四の町、五六の町、魚町、能登、横町、左エ門小路 |
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被害戸数 | 492戸(全焼473戸、半焼18戸、破壊1戸) |
罹災人口 | 2,114人(全町民人口7,733人) |
死傷者数 | 7人(死者1人、負傷者6人) |
被害見積額 | 95万円 |
当時の気象状況 | 天候:晴 風向:東 風速:約5メートル |
焼失した町
大火から14時間後(中央の川は中ノ口川)
復興直後の町
復興祭の様子
タウンガイドからひと言
しろね大凧タウンガイド
副会長 本間 初美さん
白根大火は白根の町の大部分を焼き尽くす大きな災害でした。しかし、そのわずか2年後には大規模な復興祭を開催しており、当時の白根がどれ程の力がある町だったかということがうかがえます。
大工が足りずに遠く会津からも呼び寄せて復興に当たったそうです。大火後に一斉に建てた町屋には「ダシアイ」※という特徴があります。隣同士、同じ時に建てたからこそ可能だった工夫です。昭和初期の町家が並ぶレトロな白根商店街を歩きながら、大火に思いを巡らせ、火災の予防について今一度考えてみませんか。
※「ダシアイ」・・・町屋と町屋の約90センチの側溝の上に、お互いの町屋が建物の一部を「出し合って」有効利用する仕組み。主に床の間や押し入れ、階段などに活用されている
南消防署からのお知らせ 電話:025-372-0119
防火広報
日時 5月9日(日曜)午前9時から
内容 白根露店市にて、消防団員が昭和初期の防火衣などで仮装し、防火を呼びかけます。
消防訓練
日時 5月9日(日曜)午前10時から
会場 中ノ口川堤防(三の町、四の町地内)
内容 消防団と消防署による一斉放水、サイレン吹鳴
白根大火当時の資料を展示
当時のまち並みと現在の様子が分かる写真や、新聞記事などの貴重な資料を展示しています。
日時 5月20日(木曜)まで
会場 同署
火災が多発しています!
新潟市では4月に入り、10件の火災が発生しています。春は空気が乾燥し風の強い日が多いため、火災が発生しやすく、一度火災が発生すると延焼が拡大する危険性があります。
火の取り扱い・後始末には十分注意しましょう。
昭和61年「白根大火を忘れずに」の記事で、
白根大火当時14歳だった男性は
こんなことを話していました。
「あれだけの大火事になるとは、だれもが、もちろんかんがえつかなかったことです。とにかく、中心部のほとんどが焼けたわけですから(中略)とにかく家財道具を持ち出すのが精いっぱいでした。
出火当時は西風で、途中で風向きがだしの風(東風)に変わり、どんどん燃え広がり一時は川を越えて西白根にも飛び火したほどでした。(中略)本町通りから東側の私たちは、小学校のグラウンドへ運んだわけですが、火の手は高く上がり、暗さを感じないほどでした。」
広報しろね 昭和61年6月1日号