市報にいがた 令和2年1月5日 2710号 5面
最終更新日:2020年1月5日
みなとまち新潟 歴史探訪(29)
問い合わせ 歴史文化課 電話:025-226-2584
川の立体交差「水と闘った先人の努力」 ~新川開削200周年
西区槇尾では新川の上を西川水路橋が通り二つの川が交差しています。この立体交差の完成から今年でちょうど200年になります。
江戸時代、西川流域には鎧潟をはじめ多くの潟湖(せきこ)があり、低湿地で米作りに励む人々は繰り返す洪水や湛水(たんすい)に苦しみました。人々は直接日本海に排水する堀割(新川)を掘ろうと何度も請願しましたが、西川の舟運や湊(みなと)の水量への影響を心配する新潟町に反対され、認められませんでした。
中野小屋村割元の伊藤五郎左衛門らは、長岡藩、村上藩の52カ村を取りまとめ新潟町と交渉を繰り返し、文化14年(1817年)に幕府から新川開削の許可を得ました。
西川の流れを損なわないよう川底に木製樋管(ひかん)(底樋(そこひ))を埋め立体交差させ、急峻(きゅうしゅん)な砂丘を掘り割る新川の開削は、総費用約2万2千両、労働者数延べ約165万人の難工事の末、文政3年(1820年)に完成しました。
川の立体交差は昭和30年(1955年)に水路橋へと形を変えましたが、今も西川流域の治水とかんがいに役立っています。
新川底樋伏せ替え工事図(個人蔵)
新川の上を通る西川水路橋
関連リンク
PDF形式のファイルを開くには、Adobe Reader(旧Adobe Acrobat Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Adobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ