渟足柵(ぬたりのき)ってなに?

最終更新日:2026年3月11日

渟足柵(ぬたりのき)想像CG

7世紀ごろまで、大和朝廷の支配が及ばない日本の北方に暮らす人々を蝦夷(えみし)と呼んでいました。渟足柵(ぬたりのき)はこうした蝦夷に備えた防衛施設であるとともに、都から遠く離れた地方を治める行政施設であったと考えられています。
このことは日本書紀に「大化三年(647年)渟足柵を造りて柵戸(きのへ)を置く」と記されており、歴史上、新潟に関する初めての記述とされていますが、このほかにその存在を示すものはなく、日本史上の大きな謎とされてきました。そんな中、平成2年(1990年)に長岡市の八幡林遺跡から「沼垂城」「養老」と記された木簡が見つかり、名前を変えながら養老年間(720年ごろ)に存在していたことを示唆する発見として、渟足柵の信ぴょう性が大きく増しました。
渟足柵の場所はいまだに分かっていませんが、元新潟市歴史博物館の小林昌二館長(新潟大学名誉教授)は、その研究成果から、現在の東区内にあたる旧沼垂が最も有力と語っています。
もし東区で渟足柵が見つかれば、東区民・新潟市民の大きな誇りとなり、日本史を塗り替える大発見となります。

東区のどこにあったのか

元新潟市歴史博物館の小林館長は、渟足柵が眠る有力地を2カ所を挙げています。

山の下・王瀬地区

  • 沼垂町の旧地であり、近くに柵を思わせる「木戸」の地名がある
  • 遺跡地には長者原、長者屋敷の名称がつく場合が多く、この地には王瀬長者や王五、王六の伝説がある
河渡地区
  • 「コウド(河渡)」は、「コウ(国府)」の渡しとも解釈できる

江戸時代の亨保15年(1730年)以前、阿賀野川は信濃川と河口を共有して海に注いでいました。旧沼垂、現在の山の下や河渡地区は、渟足柵があった可能性の高いといわれる、「阿賀野川右岸」にあたります。
なお、東区役所地域課による渟足柵の探索は令和2年度で終了しています。

東区歴史浪漫プロジェクトとは?

 日本最古の城柵と言われる渟足柵があった地として東区内の地域が有力視される中、学識経験者や学生、商店街代表等の地域の方々、東区役所が協働するプロジェクトとして、平成24年に「渟足柵探索プロジェクト」を立ち上げました。
 そして、その後「牡丹山諏訪神社古墳」の発見を受け、平成27年に「東区歴史浪漫プロジェクト」と名称を変更し、令和2年度まで東区の魅力を発信するために様々な活動に取り組みました。
 マスコットキャラクターとして東区公認キャラクター「ぬたりん」が誕生し、牡丹山諏訪神社古墳マスコットキャラクター「ぼたんつつは」と一緒にプロジェクトを盛り上げました。

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