399号(令和5年11月19日) 1ページ
最終更新日:2023年11月19日
フランスからやってきた
黄色い貴婦人♪を全国に
ル レクチエの栽培は、石ナシ(果実の下部が石のように硬くなる)や、尻腐れ(果実の下部が腐ること)が多いなどの弱点があり、栽培はうまくいかず難しいものでした。そんな中、フランスから苗木が新潟にやって来てから約80年後の1981(昭和56)年、当時の白根市の農家14人で「白根市西洋なし研究会」を発足しました。栽培は難しいが味に絶対の自信を持っていただけに、たくさん収穫できるよう本格的に栽培技術の研究を開始し、全国に広めるための商品化に挑戦しました。
今年の
「白根市西洋なし研究会」を1番近くで支えた人に聞きました
JA新潟かがやき
フルーツフラワーしろね
営農部 高橋 隆夫さん
ホップ
「白根市西洋なし研究会」発足
メンバーは、ナシといえば20世紀ナシが主流だった時代に、そのおいしさは「絶対に評価される」と確信していました。中には田んぼをレクチエ畑に変えるくらい熱意をもって取り組み始める人もいました。
ステップ
メンバーの苦労は計り知れず
クセのある品種で花が咲かない・受粉しても実が付かない・病気に弱いなど、安定生産が難しかったので「桃・栗3年、柿8年、レクチエのばかやろう18年」という言葉が生まれたくらいです。そこに「追熟」という難しい過程もあります。そんな中、メンバーはお互いの農地を行き来しながら、本を読んで一つ一つ研究するなど、それはそれは地道な努力と試行錯誤を繰り返していました。
ジャンプ
待望の出荷
研究が実を結び、安定した生産ができるようになった昭和62年。旬になるのが11月に入ってから、お歳暮シーズンと重なることもあり、他のナシとは差別化(高級化)を図るため初出荷は東京と決めていました。詰める箱も和ナシは10・15キロが主流でしたが、4キロ箱にして高級感をもたせました。広い市場では「どこにル レクチエはあるの?」というくらいのわずか300箱。しかし、市場に出回ると高額で取り引きされ、その結果全国から視察が来ましたよ。
研究会は栽培だけでなく、販路の拡大や販売時の品質保持など、その後も試行錯誤がありました。当たり前のように現在使用している、箱詰めに使用するビニール袋(ル レクチエを入れる袋)ひとつ取っても、穴をいくつ開けるのがレクチエにとってベストなのか、研究しました。全てにおいて研究会の努力があってこそ今があります。
たどり着いた現在の穴の数は
8つ。確認してみてください!
最後に
新潟県以外では、気象条件が合わず栽培がうまくいかないことから、栽培技術者たちは「神様が産地に与えた宝」と言いました。この恵まれた土地で14人で始めたル レクチエ栽培は、栽培面積を当時の100倍に拡大しています。メンバーの並々ならぬ努力があったからです。今年も「
みーつけた♪
かわいい子には旅をさせます
まだ実は緑色ですが、10月に入ると収穫が始まります。その後、おいしく食べるために重要となる「追熟」に入りますが、その追熟をスムーズに進めるためにいったん冷蔵庫に入れる低温処理が必要となります。
10月24日「フルーツフラワーしろね」には、農家さんが運び込んだたくさんのコンテナがありました。ここからみんなで旅に(大きな冷蔵庫へ)出発です。
「とろける舌ざわりと気品高く芳醇な香り」の黄色い実になるための旅なんだね!
ル レクチエ栽培農家
ファームジェンツ 山田 烈矢 さん
まず、繊細な木々たちは雨の少なさと夏の暑さ、非常にシビアな状況に「よく耐えたな」と思っています。
年明けの
作業をする服装がすてきな山田さんでした!
里親制度で新規就農を
問い合わせ 産業振興課 電話:025-372-6525
新規就農を希望するが「どうすればいいの?」と思っている人はいませんか?栽培技術や農業経営に関する知識の指導、就農に必要な農地確保など、里親(熟練農業者)と南区果樹担い手協議会が支援を行っています。
おおまかな流れ
面接
↓
体験・研修
※アグリパークでの研修
↓
里親研修
※研修期間1年から2年
↓
就農
※農地が借りられるまで時間を要する場合があります