市報にいがた 令和元年11月3日 2706号 5面
最終更新日:2019年11月3日
みなとまち新潟 歴史探訪(27)
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新潟と米
江戸時代、越後平野で生産された米は信濃川や阿賀野川水系の川を利用して各地から新潟へ集められました。
川船による年貢米輸送を支えたのが、船道(ふなとう)と呼ばれた舟運(しゅううん)業者の集団です。越後にはいくつかの船道がありましたが、西川を利用して流域の長岡藩領の米を関屋にあった藩の蔵所へと運んだのが、新潟町の舟運業者の蒲原船道です。蒲原船道は125俵積みの大きな川船に乗り、西川沿いの村々の年貢米が納められた郷蔵(ごうぐら)で米を積み込み、川を下って蔵所へと運びました。天候にも左右されましたが、巻・曽根(西蒲区)の郷蔵からの輸送には約6日、中野小屋・坂井(西区)の場合には約4日かかりました。輸送には難破などの危険も伴い、事故で米がぬれてしまうこともありました。
天明年間(1781年から1789年)に長岡藩の蔵所が白山神社付近に移った後は、ここに蒲原船道が集めた米を含む約4万俵の年貢米が納められ、新潟湊を通じて全国へと運ばれていったのです。
図1 寛政7年(1795年)ごろの町蔵の様子(「新潟町横町蔵屋敷銘々名面付絵図」部分、新潟市歴史博物館所蔵)
図2 蔵所へ向かう信濃川の川船(芳明筆「新潟町之図屏風」部分、新潟市歴史博物館所蔵)
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