市報にいがた 令和3年10月3日 2752号 5面
最終更新日:2021年10月3日
みなとまち新潟 歴史探訪(50)
問い合わせ 歴史文化課 電話:025-278-3260
「水の都」新潟の飲み水事情
信濃川と阿賀野川に育まれた新潟は「水の都」とも呼ばれますが、飲料水の確保には昔から大変な苦労がありました。一部の砂丘地帯では井戸を掘ることで良質な水を確保できましたが、その他の地域では川の水を飲み水として利用してきました。
信濃川から水を得ていた新潟島周辺では、船で川の中ほどの水をくみ飲料水として売る水売り業が明治になっても繁盛していました。しかし、川の水をそのまま飲用に使うのは不衛生だとして、明治10年(1877年)に「新潟港内販水規則(にいがたこうないはんすいきそく)」が出され、水をくむ船にろ過装置を付けることなどが定められました。「濾過船(ろかせん)」と呼ばれた船には、シュロの樹皮や砂利、細砂などを入れた箱が取り付けられ、川の水を下から上にこしてくみ上げる仕組みでした。
その後、市内でコレラが大流行したり大火が相次いだりして、水道の敷設が急務となりました。明治43年(1910年)10月1日、ついに近代的上水道が完成し、市民が待ち望んだ衛生的な飲料水の供給が始まりました。全国では19番目の水道でした。
ろ過箱でこした川の水をひしゃくでくむ作業(「濾過船之図・販水船之図」部分)
関連リンク
PDF形式のファイルを開くには、Adobe Reader(旧Adobe Acrobat Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Adobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ