新潟で働く女性のロールモデル集「なみおと」
最終更新日:2020年4月1日
新潟で働く女性のロールモデル集「なみおと」を発行しました
市内の女子学生を対象に、新潟で暮らすことや働くこと、新潟だからこそできることを考えてもらうことを目的に、新潟でいきいきと働いている女性を紹介するロールモデル集を作成しました。
作成には市内の大学生に携わってもらい、学生が本音で聞いてみたいことをインタビューした冊子となっています。
タイトルの「なみおと」には、インタビューに応じてくださった方の言葉、「人生も仕事も波のように、辛いマイナスが1あれば、嬉しいプラスも1」からヒントを得て、寄せては返す「波」と共に生きていくこと、自分の意思で進んでいくこと、などの意味を込めました。
「なみおと」全ページ(容量が大きいためご注意ください)(PDF:7,889KB)
「なみおと」1ページから3ページ(表紙、コンセプト、目次)(PDF:894KB)
「なみおと」4ページから7ページ(特集 沼垂テラス商店街の店主たちと学生との特別座談会)(PDF:1,695KB)
「なみおと」8ページから11ページ(技術職・五十嵐彩絵さん、保健師・唐澤源子さん)(PDF:1,551KB)
「なみおと」12ページから15ページ(福祉職・中嶋梨沙さん、SE・平方裕子さん、営業・本間南さん)(PDF:1,499KB)
「なみおと」16ページから19ページ(保育士・松沢萌さん、キャリア教育支援・角野仁美さん)(PDF:1,361KB)
「なみおと」20ページから24ページ(番外編・いきいきと働くうえで知っておきたい女性のからだ、学生の編集後記)(PDF:3,509KB)
配布場所
市内各大学のキャリアセンターのほか、新潟市男女共同参画推進センター「アルザにいがた」(万代市民会館3階)、新潟市男女共同参画課(市役所本館2階)でも配布しています。
配布にご協力いただける施設があればご連絡ください。
特集 沼垂(ぬったり)テラス商店街 特別座談会
「好きと共に、自分で決めて生きていく」 沼垂で店を営む女性たちに大学生が聞く人生論
空き店舗だらけだった商店街が、魅力的なモノや人、空間を求めて新潟だけでなく県外からも人が集まるまちになった沼垂(ぬったり)地域。そこで自分のナリワイを作り、生きる女性3人に、生活や仕事、これまでの生き方にまつわるさまざまなお話を、ゲストハウス「なり」の居間空間で、座談会形式で伺いました
―よろしくお願いします。あまり堅苦しい会ではないので、お菓子もつまみながら自由に話していきましょう。
yoyo.:よろしくお願いします。yoyo.と言います。愛称がそのまま活動名になった感じです。
<yoyo.さんプロフィール>
東京都出身。日本大学芸術学部中退後渡仏。 2005年頃から料理の活動を始め、沖縄の調理師専門学校などを経て、2019年に沼垂地域でヴィーガン料理の店「mountain△grocery」をOPEN。
なぎさ:よろしくお願いします。ISANAの中川なぎさです。最近赤ちゃんとばかり接しているので言葉が出てこないかもしれません(笑)
<中川なぎささんプロフィール>
1983年生まれ。 新潟市出身。 新潟大学卒業。 2011年から、中央区沼垂にあるISANA喫茶室の運営と、秋葉区にある工房で染織デザイン、製作、教室運営を行う。 現在は子育てをしながら、製作活動に挑戦中。
りえ:よろしくお願いします。今日の会場でもあるゲストハウスなりを経営しています、高江理絵です。
<高江理絵さんプロフィール>
1984年生まれ。新潟市出身。 日本大学文理学部を卒業し、子供服ブランドの会社で働く。長野県のゲストハウスの立ち上げに関わったことがきっかけで、2017年にゲストハウス「なり」を沼垂地域で立ち上げる。現在は子育てをしながらオーナーとしてなりを経営。
新潟の暮らし、今の暮らし
原(学生):私は新潟市西蒲区出身で外に出たことがないんですが、新潟って暮らしやすいですか?
yoyo.:糸魚川市の地域おこし協力隊員として活動したのち、食に関する拠点となる場を探していたら、偶然ご縁をいただいたのが沼垂の今の物件。
新潟は、東京と比べたらまちのサイズがコンパクトで、何でも手に届くと思えるのがいいし、満員電車に乗らなくていいのもストレスが少ない。でも車社会だから思い立って飲みに行くのは難しいかもね。美術品などの展示を見に行きたいなと思うときには東京まで出ていって発散しています。東京までも新幹線で近いし。
なぎさ:私は出身も大学も新潟市内で、大学卒業後に奈良にいたことがあります。新潟には9年前に戻ってきて、今すごく暮らしやすいと感じています。足りてないって思うことはあまりないな。子供がいると、(沼垂)商店街はすごく生活しやすい。ちょっと家を出たら野菜買えてお肉買えておしゃべりできてお茶できて、最高!って思う。工房がある秋葉区はもっとゆったりしていて、ものをつくる気持ちになりますね。
あとは、yoyo.さんが言うように規模感がコンパクトだから、何かをやりたいと思ったらすぐに行動を起こせるし、手を挙げたときに広がりが早い。これは働くうえでは大事なこと。
夫は大阪出身なので、大阪や京都でお店をやる選択肢もあったけど、大きなまちで埋もれてしまうよりも、新潟のような規模感でやってみる方が面白いんじゃないか、新潟でもきっとできるはずと思って、新潟でお店をやることにしました。
りえ:大学で上京して、そのまま東京で就職したけど、両親に「27歳くらいになったら地元に帰ってきなさい」と刷り込まれていて、言われるがままに戻ってきた。東京よりもお店が少ないとか、どこに飲みに行ったらいいかわからないとか、10年も離れているととにかく新潟での暮らし方がよくわからなくてすごくつまらないと思いながら3年くらい過ごしていて。そんなときに長野県で友達のゲストハウスを手伝うことになって、そこでいろんな人に出会ったことで自分の価値観が変わって、新潟はつまらないと思っていたけど、自分で面白いことをやったら新潟も面白くなるんじゃないかと自信もついて、また新潟に戻ってきたの。
今は自分の見方も変わったし世の中でローカルの面白さが注目されてきているように思う。個人的には世の中や社会の早い流れや新しい価値観と、自分の中での子育てしている家庭的な流れ、どうバランスをとるかがこれからの課題。
キャリアの進みかた
夏紀(学生):みなさん紆余曲折して今があると思うんですが、学生時代に今やっていることやキャリアをどれくらいイメージしてましたか?
yoyo.:私に聞くの間違ってるよ(笑)と思うくらい、いろんな寄り道をしてしまった。ファッションブランドの仕事や海外へ行って最後にやっと食という本当に興味のあるものに来られた。思えば親も食関係の仕事をしていたし、自分でも小さなころ将来の夢にコックと書くくらい食への興味はあったのに、十分に自分と対話できてなかったんだよね。自分はこれしかないってものに気づけるときっと幸せだと思う。
なぎさ:学生の時、今の(自営業をしている)状態は全くイメージできなかったな。公民館の雑多な雰囲気が好きで、そういうところで働けるように大学の学科を選んだんです。でもそうやってふりかえると、今やっていることってカフェと布制作と…って一言で説明できなかったりおばあちゃんおじいちゃんや子供が来てくれたり、と捉えるとある意味「雑多」だし、布に関しては小さい頃母が着せてくれた着物の合わせがすごく好きだったし…興味の根っこは一緒だな~と思う。
りえ:私も想像はできてなかった!でも、興味があることには全部手を出して「やる」ところまでやってきたのね。今、宿の仕事をしていて、今までやった仕事の全部が総動員されてる!ってすごく思います。一個も無駄じゃなかったし、何よりも糧になるのは経験。だから、いろんなことに興味をもってやってみるってすごく大事です。あと、誰かに言われてやるんじゃなくて、自分で選ぶ、決めること!自分の中の自分に聞いたら、『今すごく楽しい』って言ってます。
世間の目、親の期待…何が正解?自分で決める大切さ
―自分で事業をするのと会社に勤めていた時との違いはありますか?
なぎさ:ありますね。私は多分、大学を卒業して会社で働いていた頃までずっと、どこかで世間の目のようなものを気にして生きてきていました。いい子に見られる、期待に応えるために、それで自分の選択肢を変えられるくらい頑張っちゃうタイプでした。でも、やっぱり週5日社会で働くことって大変なこと。世間の目を気にしていられないくらいしんどくなるときが来たんですよね。それで仕事を辞めて染色の道に移行したのは大きなターニングポイントでした。
中村(学生):私もいつか会社やめてそういう道っていうのも考えてるんですけど…資金みたいなものそのときあったんですか?
なぎさ:ないない(笑)貯えもないし、援助してくれる人も最初はいない。親には申し訳なかったけど、どう見られるかを気にして、毎日早く終わればいいって考えてるのは自分がかわいそうだと思った。生きているのは自分なんだから、自分が楽しく、毎日の時間を責任もって選択していかないともったいない。
中村(学生):すごい、でもたしかにそうですね。辞めるとき、周りからは3年くらいすでに会社でキャリアを積んでるって見られると思うんですけど、プレッシャーとかありましたか…?
なぎさ:いやもう、ものすごいプレッシャーだよ(笑)やっぱり趣味の域を出てこれで食べていくのって、生半可なものじゃない。生きていくってえぐいって思った。でもめちゃくちゃ難しいからこそ、試行錯誤して自分でお店や商品を作り上げていくことが面白いんだよね。
春奈(学生):好きなことを仕事にするって、楽しそうだなあ!私も見つけたい。興味をもつところまではいっても、やるまでのエネルギーがなかなか。
りえ:やってみるまで、それが本当にどんなものかってわからないからね。合わないかもしれないし。辞める判断ができるのも、やってみるからこそ。三日坊主でもいいから、やってみることが大事!
苦労やピンチ、信じて越える山
―今までさまざまな苦労をどう乗り越えましたか?
りえ:本当にピンチのときって、自分では想像もできないところから奇跡みたいな助けが来たりするんです。そういうときに助けが来るってことは、私はこれを続けてもいいよって言われているのかなと思います。
なぎさ:たしかにね。お客さんと対面でする仕事だからか、お客さんがふわっと妖精みたいに来て救われる一言を言ってくれたり、自分の足元しか見えていないときに、「顔上げな」って言われたりしました。ピンチの度にはっとしたり、自分はそれでもここに立つのか?と意思や理由を確かめさせられますね。
yoyo.:まだお店を始めたばかりなので、今もピンチかもしれない。でも、なるべく楽観的にいたいですね。それこそ東京の方が人も多いしお客さんも居るしそっちの方がいいかな、と思ったりもするけれど、今の毎週来てくれるお客さんや良い反応をしてくれるお客さんのために、いかにやっていくかを試行錯誤していきたいです。
これからの展望―子育ての先、多拠点
―これからの展望を教えてください。
なぎさ:自分の中では、子供が生まれてこれからセカンドシーズンが始まると思っています。お店をオープンして8年、協力してくれるスタッフもいるし、ますますパワーアップしていきたいな、と。子供ができて変わった見え方、当たり前が当たり前じゃない純粋さをモノづくりにも取り入れていけるのが楽しみです。
yoyo.:私は、いろんな場所でいろんなことをやっていきたい。二拠点ならぬ多拠点生活で、もっと自然にも触れたり、海外に居たことを活かしたりしたいです。今度埼玉国際芸術祭にも作家として参加するんだけど、それも偶然のお声がけ。料理と人生は似ていて、(先の計画がなくても)ひとつのことをやってみたら、また次の季節が来てつくるものが見えてくる、そういうものです。
りえ:自分で商売をしているから、24時間強制的に動けなくなる育児は、一見致命的なように見えるんだけど、良いことがたくさんありました。現場で私の穴を埋めるために、スタッフみんなが頑張るから新しい体制ができました。子供を保育園に預けられるようになったので、今度は前とは違う、なりを含めた沼垂地域一帯がもっとよくなるための新たな役割として戻りたいな。働いてくれるみんなの生活を支えられるように、よりよい経営をしていきたいです。
人生は続く 大学生の感想
中村:全部参考になりすぎて、想像以上に密なお話しでした。たくさんお聞きできたので、これからに活かしたいです。
夏紀:今、就職活動中なので1年後のことばかり考えて心配していましたが、皆さんのお話をきいて、人生は最初の就職で終わらないということが分かったので気持ちが楽になりました!
原:姉が看護師なので、将来や仕事は大学の分野と直結するものという意識がどこかにありました。でも皆さんは想像できない将来に向かっていて、それでもいいんだなと思えました。
春奈:好きなことを仕事にするってすごく面白そうだなと思いました。私は(行動しないで)わくわくを溜めがちなので、出すようにしていきたいな。とりあえずカフェでバイトしてみたいです。
沼垂テラス商店街とは
新潟市中央区の信濃川河口近くにある古くからの町「沼垂(ぬったり)」エリアの、シャッター通りとなっていた旧市場の長屋をリノベーションして、2015年春に誕生した商店街。
昭和レトロな町並みを残しつつ、カフェ・雑貨・工房・古本などの個性的なお店から、惣菜・青果・花など、日常使いができるお店がズラリと並ぶ。
近隣にはサテライト店として、ブックカフェ・ゲストハウス・靴修理店があり、全28店舗で構成される。
また、月に一度開催される「朝市(冬季は「冬市」)」は、県内外から多くの来場者が集まり、定期イベントとして定着し賑わいをみせる。
http://nuttari.jp/(外部サイト)
技術職として仕事も生活も楽しむ 五十嵐彩絵さん
技術職として仕事も生活も楽しむ 五十嵐彩絵さん(株式会社ネクスコ・メンテナンス新潟)
長岡高専から社内初の女性の技術職採用となった五十嵐さん。理系、特に土木や建設関係は男性のイメージが強いけれど、最近では理系に進む女性も多くいます。実際の職場はどんな環境なんでしょう?五十嵐さんはどんなことを思ってこれまでを過ごしてきたのでしょうか?
<プロフィール>
平成2年(1990年)生まれ。見附市で生まれ、3歳から新潟市へ移る。
長岡工業高等専門学校 環境都市工学専攻を卒業後、株式会社ネクスコ・メンテナンス新潟へ入社。長岡事業所で3年勤務し、その後NEXCO東日本 新潟支社へ出向。今年度から現在の新潟事業所 保全課へ異動。趣味は旅行と音楽、最近はゴルフの練習。
目に見える成果のある仕事
高速道路の保全業務を行う株式会社ネクスコ・メンテナンス新潟に入社して7年目の五十嵐さん。入社してしばらくは、学生時代にも勉強していたコンクリート等の土木に関する業務をメインに行っていました。今年度から配属された保全課では、サービスエリアなどの管理に携わっています。
「会社全体では、道路路面やサービスエリアの清掃から、樹木の伐採や花壇の整備、舗装や橋の補修まで幅広いことを行っています。冬は除雪に関することも多いですね。実際に自分が現場で作業するというよりは、事前の調査や施工計画、施工状況の管理の仕事が多いかな」
中学生の頃は建築に興味があった五十嵐さん。理系の道に進もうと思って訪れた長岡高専のオープンキャンパスで土木の実験をしたことをきっかけに建設関係を勉強する道に進みました。
「この仕事の好きなところは、道路にしても植栽にしてもやっていることの成果が目に見えること。時間をかけて手をかけることで綺麗になるんだと分かることですね」
ある日の作業現場
働きやすい環境は日々作られている
会社初の女性技術職が働く職場環境づくりには、最初は会社側も手探りだったそう。しかし、そのおかげもあり「女性の少ない職場で困ったことはありますか」という学生からの質問に、五十嵐さんは「そんなにない」と答えます。会社からの配慮と同時に期待やプレッシャーもある中で「自分が最初だからやりたいようにやれる自由さもある」と言い切る五十嵐さんに、所長の角山さんは「うちのエースですからね」と信頼を寄せています。
現場でのトイレ事情や、日焼け対策、道路わきのフェンスを自力で乗り越えなければならないなどのリアルな話もありつつ、「例えば上りやすい階段やグッズが出てきたりと、環境は日々改善されている」との心強い言葉。同社では、五十嵐さんが入社して以降技術職の女性の数が増え、今では十人弱の女性が働いています。今年初めて技術職で育休をとった同期もいるそうで、「前例がないのでこれから彼女がどうやっていくのか楽しみ」と話しました。働きやすい環境を自らつくるために、女性同士の情報共有やネットワークづくりを欠かしません。
暮らしやすさと家族の存在
「地元である新潟で働き続ける」という選択肢についてはどのように考えているのでしょうか。
「私は自分の育ったところで仕事がしたいと思っていました。地元に貢献している満足感も得られるし、仕事に気持ちも入る気がします。それに、親は新潟市、祖母は見附市に住んでいるので、新潟事業所でも長岡事業所でも、すぐに家族に会いに行けるのは私も家族も安心しますね。」
職場の近くで暮らしていて、休日は友達と飲みに行ったり、買い物をしたり、旅行に行ったり、ゴルフも始めたりしています。
「新潟市はお店の選択肢も多くて、暮らしやすいです。県外出身で転勤で新潟に来た友達も、新潟は人が優しいし食べ物がおいしいからずっといたいと言っています。」
今後の展望と学生へのメッセージ
今後は、今年度から携わっている植栽部分についてのステップアップに加えて、会社で行っているさまざまな他の業務にも関わっていきたいという五十嵐さん。「学生時代に学んだ知識そのものよりも目の前のことに取り組むときのひとつひとつの姿勢が自分をつくっていると感じています」と話し、大学生には「研究も忙しいとは思うけれど、大学の時こそさまざまな人とつながって、偏らずに考え方を広げてほしい」とエールを送りました。
酪農から保健師へ、そして集落の暮らしへ 唐澤源子さん
酪農から保健師へ、そして集落の暮らしへ 唐澤源子さん(保健師)
小さな頃から農業・酪農に興味があり、大学や仕事で農業に携わってきた唐澤さん。今は生活の中で畑の管理やゆるくコミュニティに関わる活動をしながら、西蒲区の村に移り住み子育てに励んでいます。保健師の仕事のことや集落での生活について、村の活動拠点「旧庄屋佐藤家」のいろりを囲んでお聞きしました。
<プロフィール>
1984年生まれ。新潟市出身。新潟市保健師。福井集落で土地に根ざした暮らし方に出会い、家族で移住。田畑や古民家保存も含め、集落での暮らしをより楽しもうと考えている。
酪農への興味 新潟市での生い立ち
新潟市西区で生まれ育った唐澤さん。農家の同級生が、ゴールデンウィークに家族みんなで田植えをするなどの家庭的な雰囲気にあこがれていたこともあり、農業に早くから興味を持っていました。高校1年生の時には、知り合いの紹介で岩手の牧場に1週間滞在するほどでした。
「当時の私には(酪農が)すごく素敵に見えて。農業が好き、と話すととても喜んでくれたことも嬉しかった。2年生の夏にはもっと知りたい、と1カ月行きました」
高校生の時からそんな体験をしていたことに驚く一同。ただ、2年生の夏の滞在では、障がい者雇用や環境への配慮など、それまでには見えてこなかった課題が多くあることに気づいたそうです。
まずは農業のことをしっかり勉強しよう、と農業に特化した帯広畜産大学へ進学することに。入学前から放牧の研究をしている先生を調べ、大学では牛の世話に明け暮れました。
農村をまわる仕事と「健康」
大学で勉強を進めるについて興味を持った「環境に負荷のない循環型の農業」をもっと幅広くいろんな農家さんを通じて知りたいと、農家さん向けに雑誌の営業をする出版社に就職。年中旅館生活で、日本中の農家を訪ね歩きました。
「養豚をやっている人で、実はほとんど目が見えない人がいてね。それを知らずに営業に行ってしまったときに、わずかな見える部分で読んでくれて、買ってくれたことがあったの。」と話してくれました。「障がいがあっても自分の役割をもって、勉強までして前向きに生きていることが素敵だと思った」。
農家は多くが高齢者。体力も健康も若い人にはかないません。しかしそれでも多くの高齢の元気な農家に会うたびに「病気かどうかよりも生き生きと楽しんで生活しているかどうかが『健康』を左右するのでは」と思うようになりました。そこで唐澤さんは仕事を辞めて保健師を目指すことを決意。熊本の学校へ通い、保健師の資格を取りました。
新潟へUターン まきどき村との出会い
保健師として仕事を始める場所は、実家のある新潟市を選んだ唐澤さん。「私は一人っ子な上に、新潟には親戚がいません。両親が高齢になった時のことを考えると、新潟に戻るのも悪くないかなと思って」とUターンを決意しました。
保健師の主な仕事は地域住民の保健指導や健康管理。乳幼児から高齢者まで幅広い世代と関わり、健康増進や生活の質の向上をサポートします。健康に課題を抱える人を訪問して相談に乗ったり、育児相談会を開いたり、地域全体を見て仕組みをつくっていくことが仕事だそう。「せっかく病院で治ったことも、帰ってきて前と同じ生活をしていたらまた病気になってしまうかもしれない。一緒に暮らしかたから考えるのが大事なんです。」と説明してくれました。
「どんな時にやりがいを感じますか?」と質問する大学生に、「悩んでいた人がちょっとしたきっかけで再度自分の人生を歩み始めたりしたときかな。人間はたくましいなあ、と思います」と答える唐澤さん。
そんな唐澤さんが新潟に戻ってきて、保健師という仕事とは別にやりたいと思っていたのが「畑」でした。場所を探していた時に出会ったのが、実家の近くにあった本屋「ツルハシブックス」の店主。すでに店主が主催していた畑づくりと朝ごはんのコミュニティ「まきどき村」を紹介してもらい、通い始めることになりました。
暮らしの知恵をつなぐこと
「まきどき村」は西蒲区の福井という古くからの農村集落で行っている活動。まきどき村のメンバーは集落外から通っている若い人が多いですが、集落の人とも野菜を交換したり、マンパワーとして集落仕事を手伝ったり、地域との関わりもありました。「古くからある農村集落だからこそのおすそ分けの文化や人のつながりが残っているところが楽しかった」
唐澤さんは、同じくまきどき村のメンバーである夫と出会い、結婚し、2年前には福井集落へ引っ越しました。
「結婚直後に住んでいたアパートは、隣の人の顔もわからなかった。集落では、みんな顔も分かるし、子供の名前も覚えてくれるし、おすそ分けもあって本当に楽しい」
お祭りやしめ縄づくり、蛍の川の保全など、集落の中ではさまざまな活動が行われています。唐澤さんは「この地域は、自分の住んでいるところを自分たちの力でよくしようとしているところがとても魅力的。新潟市の中心部もそんなに遠くないので住みやすいです」と語ります。
唐澤さんはこれから育休を終え、仕事に復帰する予定。「職場はサポート制度も整っていて、育児中の先輩の話なども聞いて復帰後の生活を少しイメージすることはできますが、仕事と育児の両立には実は不安もあります」と正直に話します。
「でも、仕事と育児のほかに、まきどき村の活動も頑張っていきたい」と意気込む唐澤さん。「おととし、田んぼを手植え手刈りで始めました。それは、昔の知恵や技を少しでもつないでいきたいから。下の世代に伝わっていないことって結構あるんじゃないのかな」と、農村で暮らす中で感じていることを語ってくれました。
好きだから伝えたい、違うからおもしろい 中嶋梨沙さん
好きだから伝えたい、違うからおもしろい 中嶋梨沙さん
結婚を期に愛知から新潟に来た中嶋さん。「福祉の魅力を伝える」ことを雑貨販売やさまざまな企画を通して行ってきました。そんな中嶋さんの原動力やこれまでとは?素敵なご自宅にお邪魔して聞いてきました。
<プロフィール>
1981年生まれ。愛知県出身。日本福祉大学を卒業後、結婚を期に新潟へ引っ越す。2010年に福祉プロダクトの企画販売を行うユニットkoroを立ち上げ出産を機にユニット終了。2015年に主に福祉プロダクトを扱う雑貨屋「スイモン」をオープン。2018年に実店舗を閉店後、出店や福祉事業所の企画などを行いながら、「ちらちら」という3人のユニットで筆談カフェなどの体感することで自分や相手を知るきっかけを作る企画も行なっている。現在は家族3人暮らしをマイペースに楽しみながら自分らしい活動を模索する日々。
福祉への原点とkoro
小学生の頃から、地域の福祉作業所(障がいのある方が通って作業したり日中を過ごす場所)に通っては、「あんなに時間をかけて縫っていたのに地域のバザーで10円で売られちゃう」という状況を目の当たりにしてきた中嶋さん。福祉への興味はもうその時に始まっていました。
「高校生くらいのときにはほんとに、作業所でつくっている製品を扱う雑貨屋さんみたいなことがしたいなって思ってたの。それで大学も福祉系に進んだ」
大学卒業後は「子供と関わりたい」と特別支援学校に8年間勤務しましたが、だんだんと子供達が学校卒業後に行くことになる福祉作業所に思いが向いてきました。「といっても、学校勤務が長く、福祉作業所のことは分からないことも多いので、新しいことや面白いことをやっている全国の福祉作業所を回ってみたんです。アポなしで行ってびっくりされたこともあったなあ」。その訪問数は20か所以上。「新潟でもできるのでは」と手ごたえを感じ始めた中嶋さんは、いろいろな人に全国の福祉作業所の先進事例を話しました。そのうちにデザインのできる仲間が見つかり、「福祉プロダクト企画販売ユニットkoro」を立ち上げることになりました。
「koroでやっていたのは、福祉施設さんたちに、見せ方を変えると商品が変わるということを伝えたり一緒に考えて製品をつくったりすることでした。全国にはデザインの力で商品価値を上げた事例がたくさんあったからね。」
直接話して伝えること
そんな中嶋さんが現在6歳になるお子さんを授かり、今までの働き方が難しくなったことをきっかけに、施設との関係や製品の扱いは続けつつもkoroはユニットとしては解散。その後思いもよらないところからかかった声が「店舗が空くから借りないか」というものでした。
「お店をやるつもりなんてその時はなかったんだけどね、やっぱり魅力的な製品を直接手に取って見られる場所があったらいいなと思ってはいたから…」
その後築100年近くの長屋で始まったお店「スイモン」はいろいろな人が訪ねて来るお店になります
「福祉の製品を一般の製品に負けないクオリティにするって流れや考え方もあるんだけど、実際にかけられる時間や労力を考えたらやっぱり難しい。だとしたら福祉の製品をより良く見せるのはやっぱりどうやって作られたか、誰がつくったかとかのストーリーだと思っていて、スイモンではそれを直接話して販売もできたのが良かったですね」
「ちょっとプレゼントを渡すとき、その製品についての話があるといいでしょ」と話す中嶋さんからは、次々と製品の「おもしろ話」が出て来ます。
人がつながりやすい新潟、縛られない子育て
中嶋さんは愛知県の出身。学生時代に知り合った夫との結婚を機に新潟へ移住しました。新潟の人については「仲良くなるのに時間がかかるけれど、一度仲良くなるとそのあとずっと仲良くしてくれる」という印象を持っています。
「コミュニティが小さいから、一人仲良くなると芋づる式にいろんな人と知り合いになれるのは、県外出身の私にはとてもありがたいです。だから今までも人から人につながって事業をやってこられたのかも」とこれまでを振り返り、今でもそのつながりがさまざまな場面で生きてきていると話します。
また、子育てについては「ちょうど自分のお店を始めた頃だったから、大変だったけど自分で好きなようにできた」とのこと。自分が出かけなくても、お店に人が来てくれることが良かったそうです。
「福祉の現場にずっといたからかもしれないけど、自分の子供は思い通りにならないということが前提にありました。体内から出てきた瞬間からもうこの人は私とは違う別の人間。この人のことを全てわかってあげるのは難しいという前提があると、少し楽でいられます。それでもイライラしちゃうこともあるけどね」
「好き」がつまった福祉への関わり方を変えながら
状況や環境によってやり方を変えながらさまざまな活動をする中で、「やりがいや原動力になっているものは何ですか?」という質問に、「福祉に関わる人や空気が好きだという気持ち」と答える中嶋さん。
「何が好きかって聞かれると説明しづらいんだけど、施設の職員さんが利用者さんのことを常に考えてこうしようああしようと工夫しているところとか、その関係性であったりとか、障がいあってもなくても本当にいろんな人がいるっていう安心感とか。会社とかっていろんな決まりでがんじがらめになっているところがあると思うけど、もう少しいろんな意味で受け皿を広くすると言うか、ありのままでいいというのを福祉施設をきっかけに世の中に伝えられるんじゃないかなって思っています」。
数年前にスイモンの実店舗を閉め、現在中嶋さんは週に1回福祉施設に通ったり、福祉の作品を世に出す企画のお手伝いをしたり、「筆談カフェ」などの新たな活動を始めています。
「筆談カフェは、耳が聞こえない人向けにやってるものではないです。要はいつも使っている『話す』ということを閉じてみると誰もがちょっと不思議な感覚になる。それを体感してもらいたいんです。それが、違う感覚を面白がること・違う誰かを想像することにつながると思っています。」
「福祉施設に行くと、自分の想定外の行動をする人たちがいて、それは人によっては良く思わないかもしれないけど、私にとっては憧れや面白さ、興味。この人はどんなふうに感じてるんだろう?どんな風に見えてるんだろう?みんな同じとか平等を目指すんじゃなくて、違いを楽しむ・面白がった方が逆に壁がなくなるんじゃないかな。」
そう話す中嶋さんからは、心からの「人への興味」が感じられました。福祉の原点なるものはそこなのかもしれません。今後は「もっと福祉の現場に入っていこうかなと思っています。今までは比較的外からお手伝いしてきたので」と、新たな活動を模索中。「福祉に関わる人や空気が好き」を軸に、中嶋さんの活動は広がっていきます。
学生からの感想
なつき:バイト先に障がいを持った人が来ることがあって、そういうときに面白いなと思っていたんですけど、面白いなって思うことに罪悪感があった。今日のお話を聞いてそれでいいんだと思えた
はるな:NHKのバリバラという番組が好きでした。話を聞いて、いろんな感性があるよなと思って、それを生かしていけるような社会になればいいなと思いました
ゆか:自分の好きなことを軸に動けているのがかっこいいなと思いました。小さい頃から福祉がまわりにあったけど、中嶋さんみたいな考えはできなかった。もっと想像してみたいと思いました。
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