自然災害伝承碑
最終更新日:2024年5月30日
自然災害伝承碑とは
自然災害伝承碑とは、過去に発生した自然災害(洪水、土砂災害、高潮、地震、津波、火山災害等)の様相や被害状況等が記載されている石碑やモニュメントのことです。
これらの碑は被災場所に建てられていることも多く、過去にその土地で、どんな災害が起こったかを知ることが出来ます。
国土交通省国土地理院では、これら自然災害伝承碑の情報を地形図等に掲載することにより、過去の自然災害の教訓を地域の方々に適切に伝えるとともに、教訓を踏まえた的確な防災行動による被害の軽減を目指す事業が進められています。
新潟市内の自然災害伝承碑について(国土地理院ホームページで公開済のもの)
現在、8基が新潟市内の自然災害伝承碑として、国土地理院のホームページに公開されています。(令和6年5月時点)
横田切れに関するもの
横田切れ水位標(新潟市西区槇尾202(宝光院))
明治29(1896)年7月22日、大雨により信濃川が氾濫し、横田村など数か所で堤防が決壊、西蒲原全域から新潟市にかけての一帯は3か月も泥海と化しました。多くの家屋や人命が失われ、人々は「ヒエガユ」をすすり、雑草を食べて飢えをしのいだと言われています。宝光院には、当時の湛水していた水面の痕跡が残っており、この水位を示したのが上の表示です。
木津切れに関するもの
木津切れの跡(新潟市江南区木津4-9)
宝永4(1707)年より大正15(1926)年に至るまで、十数度に渉る小阿賀野川の破堤がこの地を襲いました。特に大正2(1913)年8月の豪雨時は破堤約180メートル以上に及び、被害は旧亀田町袋津を超え遠く新潟市沼垂の地にまで及んだといいます。
曽川切れに関するもの
(左)曽川切れ記念碑(新潟市江南区楚川132-1地先)
(右)曽川切れ跡(同上)
大正6(1917)年10月2日、連日の大雨により曽川の堤防200メートルが決壊し、鳥屋野潟周辺、一市一町五個村の亀田郷一帯を修羅場と化しました。浸水家屋数千戸、収穫を目前に冠水した田畑三千余ヘクタールその被害は量り知れないものでありました。
新潟地震に関するもの
桃山の碑(新潟市東区桃山町2丁目204(新潟市立桃山小学校地内))
昭和39(1964)年6月16日午後1時2分の新潟地震では26名が亡くなり、津波と液状化で広く浸水し港では火災が発生しました。この混乱の中で桃山小学校教職員は1,388人の子どもたちを連れて避難し、一部の児童を二日一夜、三日二夜守り続けたといいます。
みちびきの像(新潟市中央区1番堀通町3-13(新潟県民会館地内))
この像は新潟地震の復興を記念する新潟県民会館とともに、地震当時をしのびそのさなかに具現された師弟間の愛情の交流の美しさを後の世まで伝えようとするものです。
下越水害に関するもの
7.17水害浸水標(新潟市北区東栄町1-1-14(北区役所地内))
昭和41(1966)年7月17日、下越地方は記録的な豪雨で加治川等の堤防が切れ、南は福島潟、北は紫雲寺町付近の広範囲が浸水しました。両側ポールの赤い線は水害時の水位です。旧豊栄町では、死者重軽傷者67名 全半壊503戸 床上浸水1810戸 床下浸水1410戸の被害がありました。
羽越水害に関するもの
拓流和水(新潟市秋葉区草水町三丁目地内)
昭和42(1967)年8月28日の昼過ぎから下越地方を襲った記録的豪雨により曲折の多い能代川で氾濫が発生し、旧新津市は死者2名、負傷者9名、倒壊家屋40戸、床上浸水216戸、床下浸水1,872戸の被害となりました。
その他
上記の他に自然災害に関する石碑やモニュメントがありましたら、ぜひ情報提供をお願いします。
自然災害伝承碑として国土地理院へ登録の申請を行います。
※必ず自然災害伝承碑として認定されるとは限りません。
※対象となるのは、新潟市内で起きた自然災害となります。
このページの作成担当
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