区の歴史
年表(概略)
原始、古代・中世
緒立遺跡(黒鳥及び緒立流通一丁目・二丁目付近)や六地山遺跡(曽和)の発掘調査から、西区では縄文時代の終わりころから弥生時代にかけての人々が砂丘上に住み始めたことがわかっています。
古墳時代には、緒立遺跡に葺石を持つ古墳(円墳)が築かれました。
奈良時代になると、緒立遺跡や近接する的場遺跡(的場流通二丁目付近)に、サケなどの漁労や、都へ送る物資を管理するといった、役所的な機能をあわせ持つ地域の拠点がつくられ、集落も増加しました。
佐潟周辺にある大藪遺跡(赤塚付近))は、縄文時代からの遺跡ですが、平安・鎌倉時代以降に見られる中国から輸入された陶磁器や銭貨などが多数出土しています。
近世前期・近世中期
江戸時代前期(17世紀)には、越後平野の新田開発が進み、信濃川以西では比較的少なかった砂丘の村に加えて、西川の自然堤防沿いに村ができました。
1820(文政3)年
三潟(田潟・大潟・鎧潟)から水を抜く新川が完成し通水しました。(底樋による西川との立体交差が実現)
1889(明治22)年
全国で最初に誕生した市の一つとして新潟市が市制を施行しました。
1896(明治29)年
横田切れと呼ばれる大洪水が起き、新川の堤防と金蔵坂が崩れました。
1901(明治34)年
新潟県主導の町村合併が行われ、坂井輪村、中野小屋村、内野村、赤塚村、角田村(越前浜村、角田浜村、木山村の一部(四ツ郷屋地区)が合併)、黒埼村が新設されました。
1912(大正元)年
越後鉄道の白山―吉田間が開業しました。翌年に白山―柏崎間が全通しました。
1915(大正4)年
内野大火で120戸が焼失しました。
1953(昭和28)年
内野大火で250戸が焼失しました。
1954(昭和29)年
新潟市と坂井輪村が合併しました。
1955(昭和30)年
角田村ほか5町村が合併し、巻町を新設しました。
1960(昭和35)年
新潟市と内野町が合併しました。
1961(昭和36)年
新潟市と赤塚村、中野小屋村が合併しました。
1964(昭和39)年
新潟国体が開催されました。同年、マグニチュード7.5の新潟地震が発生し、青山地区では家屋倒壊が多数あり、死者も出る被害がありました。
1970(昭和45)年
新潟大学の五十嵐2の町への移転が始まりました。
1972(昭和47)年
関屋分水路が通水しました。
1984(昭和59)年
新潟流通センターが完成しました。
1994(平成6)年
新潟国際情報大学が開学しました。
1996(平成8)年
佐潟がラムサール条約の登録湿地に認定されました。
2001(平成13)年
新潟市と黒埼町が合併しました。
2005(平成17)年
3月に、新潟市と12市町村が合併し、10月には巻町と合併しました。
2007(平成19)年
新潟市は本州日本海側初の政令指定都市となり「西区」が誕生しました。
2014(平成26)年
西区役所新庁舎を整備しました。