年表(明治)
最終更新日:2012年6月1日
年 | 月日 | 北区の出来事 | その他の出来事 |
---|---|---|---|
1868年 (明治元年) |
6月頃 | 遠藤七郎が草莽勤王隊「北辰隊」を組織 新政府軍が太夫浜に上陸、新潟に向け進軍を開始 (図1) |
|
7月25日 | この日、庄内藩の重臣石原倉右衛門が、上陸した新政府軍と出会い討ち取られ、その懐中していた書類により、わが国初の領事裁判に進展 | ||
7月28日 | 曽我士郎が草莽勤王隊「正気隊」を組織、新発田藩の統制下に入る | ||
8月14日 | 北辰隊、角石原(新発田市)で、会津軍と激戦 | ||
8月中旬 | 西郷隆盛、松ヶ崎浜に来港、約1ヶ月薩摩藩士の指揮にあたる | ||
9月8日 | 慶応から明治に改元 | ||
11月19日 | 新政府が新潟を開港 | ||
1869年 (明治2年) |
この年、加治川の太郎代大曲より神谷内にいたる流路を直線の堀割に瀬替え | ||
1871年 (明治4年) |
7月14日 | 廃藩置県 | |
1872年 (明治5年) |
8月3日 | 学制が制定 | |
9月8日 | 県が県内に大区小区を設ける | ||
12月3日 | 太陽暦が採用され、この日が明治6年1月1日となる | ||
1873年 (明治6年) |
5月 | 葛塚郵便局開局 | |
1874年 (明治7年) |
松ヶ崎浜の漁師と濁川・新崎両村に八統網論争が起こる | ||
1875年 (明治8年) |
7月 | 大雨で川々破堤、安政4年以来の大洪水となる | |
1876年 (明治9年) |
2月5日 | 松ヶ崎の六歳市は毎月2・7の日を市日に定められたいと県に願い出る | |
1877年 (明治10年) |
10月 | 新発田警察署葛塚分署が開設 | |
この年、加治川破堤。区域では、藤井・島崎・濁川・鳥屋・亀浦・葛塚の各村に被害が及ぶ | |||
1878年 (明治11年) |
9月19日 | 明治天皇の北陸巡幸、新潟を出発した天皇は、新崎村古山家で小休憩、内島見の近藤家で昼食をとられた。翌朝、新発田の行在所で遠藤七郎ら37名は「天顔奉拝」が許される | |
この年、葛塚から新潟まで川汽船が就航 | |||
1879年 (明治12年) |
新潟県が郡区町村制を実施。新潟は区となり、蒲原郡は4郡に分かれる | ||
1882年 (明治15年) |
9月 | 木村元四郎が汽船2艘を造り、新潟~葛塚間で「葛塚蒸気」の営業を開始 | |
1883年 (明治16年) |
3月27日 | 新潟県会議事堂(現県政記念館)落成 | |
1885年 (明治18年) |
12月 | 初代泰平橋完成 | |
1886年 (明治19年) |
11月4日 | 万代橋開通式 | |
1887年 (明治20年) |
加治川破堤。区域では、藤井・島崎・鳥屋・濁川・葛塚の各村に被害が及ぶ | ||
1888年 (明治21年) |
8月 | 加治川破堤。区域では、藤井・島崎・鳥屋・葛塚・濁川・笹山各村に被害及ぶ | |
12月 | 川蒸気船が福島潟を経て天王~葛塚間を航行 | ||
1889年 (明治22年) |
2月11日 | 大日本帝国憲法発布 | |
4月1日 | 市制町村制施行により北区内に15カ村が成立(松ヶ崎浜・南浜・濁川・葛塚・太田古屋・嘉山・島崎・笹山・鳥屋・藤井・越岡・大久保・三森・長場・亀浦の各村) | 新潟区は新潟市になる | |
この年、加治川破堤。区域では、藤井・島崎・鳥屋・葛塚・濁川の各村に被害 | |||
1891年 (明治24年) |
新鼻に初めて排水機が設置される | ||
1893年 (明治26年) |
9月 | 宮内安正、汽船2艘で葛塚~新潟間の営業を開始 | |
11月 | 新発田区裁判所葛塚出張所が設置 | ||
1894~1895年 (明治27~28年) |
日清戦争 | ||
1896年 (明治29年) |
4月 | 葛塚町大火、144戸出火 | |
7月 | 加治川、新発田川、太田川などが破堤で大水害。 | ||
1897年 (明治30年) |
7月 | 加治川、新井郷川、新発田川などが破堤。区域では、南浜・笹山・三森・亀浦・嘉山の各村で被害 | |
1898年 (明治31年) |
加治川破堤。区域では、藤井・笹山・濁川・三森・太田古屋の各村で被害が出る | ||
1899年 |
12月 | 2代目泰平橋が開通 | |
1901年 (明治34年) |
2月16日 | 松ヶ崎郵便局開局 | |
2月 | 葛塚~新潟間の電話の架設が終わり、電信業務が開始される | ||
7月21日 | 新潟電話交換局が業務開始 | ||
11月1日 | 町村合併により葛塚町・長浦村・岡方村発足 | ||
1902年 (明治35年) |
この年、葛塚丸は、新潟市の安進社に買収され安進丸となり、新潟~松ヶ崎~葛塚間を運行 (図2) |
||
この年、加治川、新発田川、新太田川破堤、大水害。区域では、濁川・藤井・鳥屋・島崎の各村と葛塚町で被害 | |||
1903年 (明治36年) |
この年、加治川破堤、新発田川決壊 | ||
1904年 (明治37年) |
5月3日 | 新潟駅開業 | |
1904~05年 (明治37~38年) |
日露戦争 | ||
1905年 (明治38年) |
9月 | 北蒲原馬車会社が新発田~葛塚間の往復開始 | |
1906年 (明治39年) |
4月1日 | 木崎村発足 | |
1909年 (明治42年) |
12月22日 | 2代目万代橋開通 | |
1910年 (明治43年) |
10月1日 | 新潟市上水道完成、給水開始 | |
1912年 (明治45年、大正元年) |
7月30日 | 大正と改元 | |
9月16日 | 葛塚町に電灯がともる | ||
11月16日 | 葛塚郵便局に公衆電話設置 |
(図1)
(図2)
このページの作成担当
本文ここまで